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アイテム
看護における「主観と客観の問題」と西田哲学の純粋経験 ―患者と看護師が共有する視座―
https://ncn.repo.nii.ac.jp/records/2000153
https://ncn.repo.nii.ac.jp/records/2000153149db77d-857a-4d1d-bca5-196784ecd94f
| 名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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| アイテムタイプ | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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| 公開日 | 2025-11-20 | |||||
| タイトル | ||||||
| タイトル | 看護における「主観と客観の問題」と西田哲学の純粋経験 ―患者と看護師が共有する視座― | |||||
| 言語 | ja | |||||
| タイトル | ||||||
| タイトル | “Issues of subjects and objects” in nursing and pure experience of Nishida's philosophy : Perspectives shared with nurses and patients | |||||
| 言語 | en | |||||
| 言語 | ||||||
| 言語 | jpn | |||||
| キーワード | ||||||
| 言語 | ja | |||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | 主観 | |||||
| キーワード | ||||||
| 言語 | ja | |||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | 客観 | |||||
| キーワード | ||||||
| 言語 | ja | |||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | 心身二元論 | |||||
| キーワード | ||||||
| 言語 | ja | |||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | 東洋哲学 | |||||
| キーワード | ||||||
| 言語 | ja | |||||
| 主題Scheme | Other | |||||
| 主題 | 純粋経験 | |||||
| 資源タイプ | ||||||
| 資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
| 資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
| 著者 |
井村, 俊義
× 井村, 俊義 |
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| 抄録 | ||||||
| 内容記述タイプ | Abstract | |||||
| 内容記述 | 心と身体は別々のものではなく,密接につながっていると一般的には考えられている.それにもかかわらず,私たちはしばしば臨床の現場においてさえも両者を別箇のものとして取り扱いがちである.この問題を解消する過程で,ベナーとワトソンはそれを「主観と客観の問題」として捉え直した.そして,主観と客観を隔 ててしまう要因を解消する手段としてベナーは「現象学」を,ワトソンは「詩学」に着目した.二人はさらに, 患者と看護師のコミュニケーションを成立させている基盤に「文化的背景」が存在することを指摘した.ワトソンはそのなかで,近代科学を補う方法としての「東洋哲学」の重要性を指摘している.この到達地点は,日本の 哲学者である西田幾多郎が提示した「純粋経験」や「主客未分」という考え方と近い.西洋哲学の不備を指摘したベナーとワトソンを概観したうえで,日本独自の哲学を考え続けた西田幾多郎へとつなげることで,「日本の看護」を考えるための一つの道筋を提示した. | |||||
| 言語 | ja | |||||
| 書誌情報 |
ja : 長野県看護大学紀要 巻 27, p. 35-41, 発行日 2025-07-14 |
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| 出版者 | ||||||
| 出版者 | 長野県看護大学 | |||||
| 言語 | ja | |||||
| ISSN | ||||||
| 収録物識別子タイプ | PISSN | |||||
| 収録物識別子 | 1345-1782 | |||||
| 著者版フラグ | ||||||
| 出版タイプ | VoR | |||||
| 出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||